自民党 衆議院議員 梶山ひろし

自由民主党総裁選挙立会演説全文

冒頭にご指名を頂戴いたしました梶山であります。

まず、国連のタジク監視団の秋野政務官ほか三名の方々が尊い犠牲者になられました。心からご冥福をお祈りするとともに、平和のために尽力する方々に対する理不尽な武力の行使に強い憤りを覚えるものであります。 また、パプアニューギニアの北西部における津波災害による犠牲者に哀悼の意を表し、一日も早い復興を念じながら、私どもも全力でこれに支援の輪を広げたいと考えております。

過日の参議院選挙ではご案内のとおり、わが党は予想をはるかに上回る大惨敗を喫したわけであります。それは昨年、〇・七%というマイナス成長の経済、そして四%を過ぎる失業率、しかもそれがさらに悪化している今、これらに歯止めをかける有効な手段を私たちが持ち合わせなかったことに原因があります。そして現在、国民の皆さん方は、今日の生活のみならず、将来に大変大きな不安を抱いているのが、わが国の現状であります。 その悲鳴にも似た苦しみ、怒り、こういうものを私たちが今まで真摯に吸収し得なかったことを、私自身、深く反省をし、この反省に基づいてこれからの政治行動を決していかなければならない、そういう決意で私は出馬を決意したわけであります。 そして、参議院の選挙というものは私たち政府自民党に大きな反省、ある意味で、鉄槌を下したと思いますが、その後は、やはり国民の気持ちは穏やかになりつつあるものと私自身は予想いたしておりました。しかし、某紙の直近の世論調査が今日の新聞に出ておりますが、その結果を見ましても、まさに戦慄すべき評価であります。これは、この選挙の結果というものが一時的なものではなく、相当に根深いものであり、また、選挙後のわが党、政府の反省の度合いに対して、国民がさらに憤りを増したと見る以外に分析のしようがありません。 私たちはいろいろな政策を掲げる前に、まずもって自ら厳しく反省をいたし、そして国民の前に、今日までの私たちの政策の決定のあり方、実行のあり方、こういうものに対して鈍感であったことに反省を込めて謝罪をいたさなければなりません。 そして今、私たちは小選挙区比例代表並立制という選挙制度のもとで党勢の拡大を行っているわけでありますが、選挙制度はそうなりましたけれども、小選挙区に適応する党の体制が果たしてうまくできているのかどうなのか。確かに派閥の力が弱まり、党に権限が集中していることはご案内のとおりであります。しかし、党がかつてあった派閥の機能を吸収して、それに応えうる党の体制をつくりあげているのかどうか考えますと、これには残念ながらまだ遅いものがあります。 そして今、私たちは特に直さなければならないのは、党本部の改革もさることながら、今の国民の世論、民意というものを吸収するのには、第一線に立っている支部を強化することであります。支部は第一線にあってそれぞれの民意を肌で感じ、そして、われわれの対策を決定すべき様々な資料を持ち合わせております。これから私たちが心掛けねばならないのは、第一線である地方支部を強化し、この地方支部が世論を吸収し、大きな流れをつくることに努力しなければなりません。 今回の一連の参議院の選挙戦、そして今日の世論の動向、こういうものを踏まえて、厳粛な反省に立って、これからの対応に邁進しなければならないと、このように考えるわけであります。

そして私たちは、いまなによりも緊急なことは、日本の不況を克服、脱却し、経済の発展を請い願わなければなりません。いろいろな将来に向けての展望はあります。国際化に備える、活力社会をつくる、そして秩序ある立派な日本を形成する、そういう目標に向かって、今日的な課題は何かというと、この不況の脱却であり、景気の回復なのであります。 やがて、将来に私たちが明るい希望が持てるならば、国民経済は一朝にして回復ができるはずだ。しかし、目下のところ、残念ながら先に対する展望がないために、消費は低迷し、いろんな対策が後手後手に回っていることはご案内のとおりであります。その根幹を成すもの、すなわち金融の不良資産の解消をいたさなければ、景気を上向きにさせることはできないわけであります。 皆さん方もよく言われているとおり、金融は産業の血液であり、そして血液を送り出す心臓部である金融界が健全でなければ、いくら四肢その他が健全であっても、血液が回らなければ壊疽(えそ)になることは当然であります。誰しも大改革は苦手であります。能う限り安易に道を渡りたいと思うのは当然であります。 そして、私たちはこのバブルの崩壊後、七年も八年も、何とかなるだろうという思いで、その場、その場の対策を講じてまいりました。いくたびか不況に対する対策のために追加の予算を組み、その都度、効果は上げてまいりましたけれども、残念ながら根本をなす治療には至っていないわけであります。むしろ、その深刻さは年々歳々深まっております。 私も内閣官房長官にあって、橋本内閣を支えてきた一人であります。住専を解消すれば金融界は概ね大丈夫だという、その説明を鵜呑みにし、今日まで対策を怠ったというより、むしろ、そんなことは必要がないとすら思ったわけであります。 将来へ向けての財政再建は何よりも大切だと、今でも私はそう思っておりますが、今の不況の克服、この危機的な状況の突破ができなくては、将来の展望は開けない。これは誰しもご理解がいただけるし、昨年の秋以来、数次にわたるいろいろな対策はしたけれども、この根幹にメスを入れなくて、その発展、解消はあり得ない。これをいたすことが今は何よりも大切であります。 往々にして私が金融界に対して厳しい対策をいたせば、金融界はもちろんのこと、これに関連をする産業界も、果たしてわが企業は大丈夫かという心配をされます。いたずらに私は危機感を助長するわけではありませんが生々(せいせい)とこの不良資産の解消に具体的な対策を講じてやらなければならない。 今、政府与党はようやくその対策を講じつつあります。しかし、あの素案を見てみますと、まだ入り口と出口がない。一つには、いわばブリッジバンク構想がございますが、それが果たしていいのかどうなのかという問題は抜きにいたしまして、入り口であるディスクロージャー、情報の開示が果たしてどうやったらできるのか。情報がなくてやることができるのか。私は公金を導入する以上、一種の経営責任や行政責任は当然ついて回るものと考えております。これがなくて国民の税金を使うわけにはまいらない。 その国民の憤りを感じませんと先を誤ることになる。これまでのように何としてでも銀行の血は流さない、どういうことがあっても銀行は守るんだということで国民経済を守り通せるならば、その方はその方法でやってみればいい。しかし、その方法で果たして国民経済を守れるかどうか。残念ながらそうまいらない。 債務超過の銀行は残念ながら引退を願うほかにない。そして、危険水域にあるものに私たちは公金の導入をしながら、これを健全化していかなければならない。その健全化をするために、公金の導入をするならば当然、金融界は公の一つの指導のもとに行わなければならない。これは当然の帰着であります。 そういうものを視野に入れながら、金融の健全化を図ることが産業の新たな復興のための第一歩を占めるものと、私は確信いたしているわけであります。 そして、望むべきものは、先程申しましたように、この不況の脱出、景気回復が目的であります。金融の秩序回復はその手段であります。手段を間違えますと、いつまでたっても景気回復は不可能になってまいります。私たちはそういうものを行いながら、将来に向かって実質、二ないし三%程度の成長を目指していかない限り、すべての矛盾は解決ができない。そのような判断をいたしながら、懸命な努力をしたい。 そのためには、そういう金融の不安の状態の中で、一般民間の産業界や国民の生活を安全に守るためには、いわば金融とある程度セパレートして、産業界の保護をしなければならない。金融の不安によって生ずる経済の影響を最小限度に食い止めることは、経済全体のためにも不可欠であります。金融の不祥事のため、金融の不安のために産業界が犠牲を受けていいということにはならないわけであります。 ですから、あらゆる手段を講じながら、この金融の問題に取り組んでまいる。それには失業の防止であるとか、あるいは貸し渋りの対策のために、必ずしも一般の金融機関のみならず、政府系の金融機関を活用して、緊急の避難をしなければならない。それから、中小企業のこれによる関連の倒産をどうやって防止できるか。こういうものの歯止めをかけながら、新しい産業立国を目指していかなければなりません。 私は長い間、貿易立国・科学技術立国を唱えてまいりました。いや、それ以上に道徳律の回復に視点を置いて提言をいたしてまいりました。しかし、いま私たちが緊急にやらなければならないのは、新しい産業をどうやって興していくかということであります。 それには、まずもって、いまある日本の根幹的な「モノづくり」の経済を守らなければなりません。極端に言うならば自動車、電機、機械という、この御三家によって、輸出の六割が保たれているわけであります。しかし、空洞化率ははるかに進んでおります。この根幹を守らない限り、私は新しい産業を興すといっても心配でなりません。 そういうことをあれこれ考えますと、私たちはまずもって最小限度、われわれの国にない、エネルギー、鉱物資源、そして、あり余るように見えるけれども半分しか自給できていない食料の安定供給を考えなければなりません。この三つは国の根幹であります。それらにわれわれは、輸入の半分にあたる二〇兆円を割いております。これらの価格がもしも高騰すれば、例えば、ちょうどオイル・ショックの時代の単価で換算いたしますと倍以上の金額になってまいります。この負担がさらに増え続ければ、それは到底、わが国の安定にはつながらない。 こういう国の基礎を固めながら、将来に科学技術立国をし、特許をもっともっと振興させ、新しいソフトやバイオの技術を駆使しながら、新しい日本の産業形成をやる。これが今の緊急な対策ではないかと思います。 若干時間がまだ残っておりますので、私なりの人生観を申し上げたいと思います。私は今回、実行した中では、お二人方と比べますと年齢は、正味七十二歳になっております。かつて戦争中、命をかけても悔いがないという思いで軍籍に身を投じ、敗戦を満州で迎えた人間であります。どんなことがあってもあの戦争だけは避けなければならない、これが私の根幹にあります。 そして、戦後、兄貴と一緒に小さい零細企業やりながら生きてまいりました。しかし商売をやりながらも、あるいはその後、昭和三十年に県議会議員に出ながらも、私たちの社会は、国家は、今年よりは来年、来年よりは五年後、一〇年後…。間違いなく活力があふれて、豊かで幸せな国になれるということを確信してやってまいりました。しかしここ数年、果たしてこれで良かったのかという反省が起こってまいりました。 そして今、目の前を追う真っ黒な雲、雷雲にも似た国民の悲鳴と怒りの実情を見るときに、私の人生は正しかったのか、私の政治活動はこれでよかったのか。今、自問自答いたしております。私は五〇年を経ますといろんな、変遷がある。しかし、あまりにも坦々たる道を歩んで、その先にある崩落に気がつかなかった。 私が今、やらなければならないと考えているのは、私個人からいっても、この戦後五〇年の歩みを否定したくない。今ここで誤りがあったと見えても、それは、一時のことであり、この難局を乗り越えれば解決できる。そうして、次の世代に私たちが夢みた社会を残したい。この一念があるからであります。平常であれば、私ごときものがこの時期に立候補するということは大変不自然なことかもしれません。しかし、私は、経済回復の初動である金融の安定化に、自らの命をかける思いでやることが、私に課せられた最後のご奉公と考えております。 先輩・同志の皆さん、お互いに素朴な感情を抱きながら今日まで生きてきた人間であります。私が申していることは、いわば私の政治的な遺言であります。これから命をかけて行なってまいりますが、あるいは途中で倒れるかもしれない。その時には、この私の屍を乗り越えて、皆様方に日本の将来を築き上げてほしい。そう思う一念で、今、同士の決起に応えたわけであります。

どうか、皆さん方の心からなるご支援、ご理解を頂戴をしたい。そしてわが党のために、いや、国家国民のためなる政党としてわれわれが十二分にその任に耐え得るるような党勢拡張を行い、党改革を進め、そして日本の将来の希望をつなぎ得るような政治を展開して、次なる来年の統一地方選に備えてまいりたい。そしてさらに衆議院の選挙がありますが、この緊急課題に取り組む以上、政治には一日の停滞も許さない。今どんなことがあっても衆議院の解散をしている余裕はない。 このことだけはみんなで覚悟して、どんなに苦しくとも「韓信の股くぐり」をしながらも、政治の大目的である不良債権の処理、不況の脱出、景気の回復、この道筋を立てるために、党の先頭にお互い立とうではありませんか。 私も微力ではありますが、死力を尽くしてやることをお誓い申し上げ、皆さん方のご共鳴を頂戴したい。よろしくお願いいたします。

1998年(平成10年)7月23日

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