自民党 前衆議院議員 梶山ひろし

わが救国宣言

1998年(平成10年) 「文藝春秋」10月号に掲載

鈍い音をたてながら崩れつつあるとしか思えない日本経済--私がその危機の実相に初めて目を開かれたのは、昨年秋に橋本龍太郎内閣の官房長官を辞して後のことでした。以来、それまで政権の中枢にあったものとしての慚愧も込めて、折りに触れ、私は政策提言を行い、警鐘を鳴らしてきました。 私が繰り返し表明してきたのは、現在のわが国の深刻な不況は本質的に「金融不況」なのであり、金融システム不安の根底に横たわる金融機関の「不良債権問題」を解消しない限り、日本経済は再生への第一歩すら踏み出せないのではないかという危機感でした。 健全な金融システムなくして、日本経済の再生はあり得ない。しかしまた、言うまでもなく、私たちは金融のみによって生きているわけではありません。確かに金融システムの安定化は焦眉の急ですが、あくまで過去の負債の清算です(後述しますが、金融に莫大な血税が注ぎこまれるなら、貸し渋り等により甚大な被害を受けている製造業など産業界にも何らかの支援がなされなければ、政策上のバランスを著しく欠いているといわざるを得ません)。負債の清算の道筋を示すとともに、この不況から脱却した後の日本経済のエンジンとなる新たな産業構築のビジョンがなければならないのではないか、その両者が対となってこそ初めて、日本経済再興への確かな筋道を示すことができるのではないか、と私は考えてきました。 そこで本項では、現在進められている金融システム安定化策に対して私が抱いている懸念を含め、改めて不良債権問題の解消のためになされるべき施策を示すとともに、私の考える二十一世紀へのビジョン「新産業興国論」について説明したいと思います。

かつてとは決定的に敗北の質が違う

まず、七月の参議院議員選挙における自由民主党の歴史的な大敗に始まる政治状況について、思うところを若干述べさせていただきたい。そのことによって、私がここに認(したた)めた提言に込めた思いをよりわかっていただけると考えるからです。 参院選における事前のあらゆる予想をはるかに下回る四十四という獲得議席数は、夢想だにしなかった大惨敗でした。なぜ自民党はこれほどまで負けたのでしょうか。私がここで指摘したいのは、党の内と外では、日本経済の現状に対する危機感に深刻なギャップがあったということです。私は選挙前から、「参院選の敵は野党ではなく、自民党の内なるものにある」と機会をとらえて発言してきました。というのも、現在の経済危機を招いた原因のひとつは、私自身忸怩(じくじ)たる思いを禁じ得ないことですが、間違いなくわが党の政策の失敗にあるからです。それに気づいた後も、今までの惰性から抜けきれず、不良債権処理に憶病になり、有効な政策を打ち出せなかった。先の参院選では、不況にあえぐ国民の悲痛な叫びをどう受け止め、失政を犯した政権与党として何ができるのかが、問われていたのです。 しかし、自民党は負けました。そして現在に至るまで、参議院選挙の結果を真摯に受けとめ、なにが誤りであったか、議論が党内において十分に尽くされてはいません。それどころか、選挙直後から派閥単位で次期総裁候補を一本化することにのみ専心し、敗北の責任は前総裁に押し付けるばかりでした。反省とは結果に責任を持つことです。ところが「今回はお灸を据えられただけだ。次回の衆議院選挙では世論は自民党支持に戻ってくるはず」という考え方すらがまかり通っているのが実情なのです。 確かに、これまでも自民党には危機が叫ばれた時期があり、そのたびに危機を乗り越え復調を果たしてきた経験があります。近くは非自民連立政権の成立をみた九十三年の総選挙であり、遡れば保革伯仲・逆転を騒がれた七十年代後半がその例といえます。 しかし、これまでの危機はいずれも疑獄や政治腐敗が引き金となって敗北を喫したのに対して、今回の参議院選挙では国民的な憤激を招くような不祥事があったわけではありませんでした。 つまり、敗北の質が、かつてとは決定的に違うことを私たちを認識しなければなりません。その違いが端的に表れているのが、政党支持率です。今回初めて自民党の支持率は民主党の後塵を拝し、第二党となりましたが、自民党こそ守旧派であり悪の権化と喧伝された細川護煕政権下でも、自民党が支持率で第一党の座を明け渡すことはついぞなかったのです。 無論、この大惨敗をもたらした遠因として、世界的には冷戦の終結を、国内では小選挙区制度導入を上げることは可能でしょう。しかし、この選挙結果の奥深くには、国民の底知れぬ不安感、危機感、閉塞感があり、わが党がその払しょくのための有効な政策を打ち出せていない事実があると指摘せざるをえません。失業率は戦後最高の四%を超え、資産価値が下落の一途をたどるデフレ経済が目前に迫っている。先行きに明るい展望が見いだせない状況が続いています。 私は、これまで「冷戦後の時代は明治維新、昭和二十年の敗戦に次ぐ『第三の開国期』になる」と言ってきました。しかし、先の二つは、いわば、いずれも外からの衝撃による「開国」でした。人間は外傷に気付くのは早いが、内臓の病気にはなかなか気付かない。これと同じく、知らぬ間に進行していた「内なる病魔」の痛みに、政治家よりも国民の方が先に気付いたというべきでしょう。 付言すると九十二年参院選を最後に、自民党は国政選挙で勝利を収めていません。九十三年衆院選、九十五年参院選、九十六年衆院選、そして今回の参院選と、四回連続で過半数を得られないまま終わっています。そこから鑑みれば、今回の選挙で示された民意は「自民党よしっかりせよ」などという生易しいものではありません。国民にとってもはや自民党は唯一無比の存在ではないのです。 そうした危機感をもっていたからこそ、私は自民党総裁選挙に出馬しました。永年所属してきた派閥を脱会しての戦いであり、通常ならば私のようなものが、この困難な時期にあえて総裁選に立候補などすべきではない、と承知しています。まして私は「天下の副将軍たらん」と公言してはばかることのなかった人間です。しかし自民党にも国民とともにあり、危機感を共有できる政治家がいるのだということの証を立てたい。その一心でした。同志から要請を受け、熟考の末、出馬に至りました。当時私にあったのは、いち派閥、いち自民党の問題というレベルを超えた、国家の大事という意識でしたが、心ある人々に私の屍を乗り越え、日本の将来を築いてほしいという願いに、結果として百二人もの賛同が得られたことは望外の喜びであり、また感動でありました。

もはや「決断」こそが問われている

しかし、その後の政界の姿は少なからず私を失望させました。時代を担うべきリーダーたちも、それに次ぐ世代にも、自らの都合を優先し、旧来の自民党的システムの温存どころか肥大化を図るばかりだったのではないか。私はその様(さま)に、時代の変化に適応できず、やがて滅びていった古代の恐竜を重ね合わせずにはいられません。 とはいえ、国家の現状に強い危機感を抱いて解決に全力を尽くす力を持っているのは、やはり自民党をおいてありません。私は、総裁選後、全力をもって新政権を支えたいと考えていましたが、総理並びに総理周辺から何ら呼びかけをいただけず、残念に思いました。しかしこの国難ともいうべき時期に待ったなし、やり直しのきかない状況下で船出された小渕恵三総理に、心よりこの問題の解決を期待しています。またしかし、それでもいくつかの懸念をなしとしないというのも、私の率直な思いなのです。 いまわが国の政治に必要なのは、勇気を振るって危機の真相を国民に正直に伝え、共に苦難を乗り越えようと呼びかけることではないでしょうか。しかし残念ながら、金融システム安定化策への現政権のスタンスには、その気概は感じられません。いわゆるハード・ランディング政策はとらず、大銀行はつぶさない、情報開示も積極的には行わないという方向性が見えています。しかし、それで本当に不良債権問題が解決できるのでしょうか。 現在、政府・日銀が進めている日本長期信用銀行(長銀)の処理策は、この論考を草している時点では不明瞭な点もありますが、これまでのところ、明らかに裁量行政の延長線上のものでしかない。数千億円から一兆円もの公的資金を投入するというが、果たしてその額で長銀の不良債権処理に十分なのか、国民に対して、きちんとした説明がありません。金融当局は、いまだに「知らしむべからず由(よ)らしむべし」というスタンスで問題解決を図ろうとしている。 かつて、私の官房長官時代に、住専問題の処理をめぐり、六千八百五十億円の公的資金導入では大変な論戦になった教訓があるにもかかわらず、今回、住専処理に近い額の公的資金を導入するのに、あまりに掴み金に過ぎるのではないでしょうか。 この三月、大手と地方銀行二十一行に対し資本注入を行おうとした際、自民党の緊急金融システム安定化対策本部(宮沢委員会)において、私は、大手行にあまねく公的資金を投入するのではなく、問題が深刻化している数行に限って公的資金を入れるべきだと主張しました。しかし、大蔵省の「これで大丈夫です」という説明を聞き、了承しましたが、それがわずか半年も立たずにまた一行に住専処理に匹敵する資金を使うという。開いた口がふさがらないとはこのことです。 もちろん金融システムの破たんを避け、長銀問題の対応はしなくてはなりません。しかし、このままの処理策では、従来の護送船団方式と何ら変わりがありませんし、国民の納得がいく対応策では到底ないでしょう。これでは、政府の対応が超法規的であり、無理難題が通るまで不良債権問題を放置しておいたといわれても仕方がないではありませんか。こうならないように、私は昨年末から警鐘を乱打し続けてきました。にもかかわらず、このような事態に陥ったことは誠に暫塊に耐えません。 私は「銀行は容赦なくつぶせ」という極論を唱えているように思われている節もありますが、それは誤解です。「大手銀行は半分になる」といった発言が極解されてのことと思いますが、それは国際的な競争力を考えれば、大手行もこれから十年ほどの間に自然な淘汰は免れないという認識を示したにすぎません。 確かに穏便な解決が望めるのであれば、それに越したことはありません。しかしそうやって金融機関の自主性、自助努力を信じて、数年にわたって問題を先送りしてきた結果、現在の金融システム不安を招来したのです。その反省に立てば、日ごとに不良債権の額が増え続ける現状では軟着陸はあきらめ、緊急避難的な手段をとるしか方法は残されてはいないのではないかと私は考えています。 具体的に説明しましょう。 日本経済の根幹を揺るがす不良債権問題はもはや「決断」こそが問われる段階に入ったといえます。九十五年九月から公定歩合〇・五%という史上最低の低金利政策を続け、金融機関に対して数兆円もの利益を誘導し、不良債権処理を図ってきました。その結果、今日までに銀行は約四十兆円もの不良債権を償却してきたのです。さらに今年三月には、主要銀行に対し公的資金一兆八千億円を資本注入し、金融機関の健全化を図ったものの、事態は一向に好転しない。好転しないどころか、これほど銀行を特別扱いしてきたにもかかわらずこの三月期に発表された不良債権額(リスク管理債権)はいまだに八十七兆五千億円(全金融機関)に上り、実質的な不良債権処理は、遅々として進んでいないのが現状なのです。 そして国際的な格付け機関は、日本の信用格付けをトリプルAから格下げの方向で検討に入ったといわれます。この格下げが実施されたなら、国際的にみて日本は「経済二流国」に転落してしまうことになります。日本経済がかくもぶざまな状況に至ったのは、私が昨年十一月から繰り返し主張してきたように、銀行の不良債権問題が景気回復を阻んできたからにほかなりません。企業活動に血液を循環させる金融システムが機能不全に陥っている。本来、自動車、電機、機械の御三家をはじめとする産業こそ、日本経済の根幹法をなしているわけですが、金融が完全に機能不全となっているため、産業も停滞し、さらには後退の局面に立ち至ろうとしています。このまま銀行が次々と破たんするようなことになれば、現下にあるアジア各国の危機を増幅しかねません。そうなれば、日本がアジアで有している膨大な債権も不良化し、日本は国内、アジアの二重の不良債権に苦しむことになります。さらにはその混乱の悪循環が、世界不況の引き金をひけば、日本が戦後五十年に営々と築いてきた財産も、国際的な信用も、一気に失ってしまうのです。 前述したように、不良債権処理の「決断」を先送りしてきたがゆえに、雪玉が坂を転がり落ちるように、不良債権は私たちの手に余るほどに肥大化してしまいました。昨年末、政府自民党が打ち出した「三十兆円構想」も当時としては相当かつ有益な規模の手当てだったのでしょうが、結局今日まで決定的な不良債権処理がなされなかったために、今では五十兆円規模でも足りるかという瀬戸際に立たされてしまったのです。 もはや、不良債権処理には一刻の猶予もありません。その処理こそ小渕新内閣の最優先の課題であろうし、私は強くその実現を期待しているのです。

いまこそ金融システムに大手術を

では何をなすべきでしょうか。 実際、金融機関の破たんを予測することは困難です。

しかも、その影響の大きさを推し量ることも、かつて経験したことがない以上、難しいものです。明らかなのは、金融機関をこのまま放置していれば、やがて日本経済は大銀行と心中してしまうということです。 今なすべきことは、まさに「金融システムの大手術」です。同時に、だれも責任を取らないモラル・ハザード(倫理の欠如)の払拭です。昨年秋から私が主張してきたことは、一.不良債権の厳格な審査、決定した情報開示)ディスクロージャー)、二.経営責任および金融行政責任の追及、三.金融再編--この三点につきます。 しかし残念ながら、今もって第一の課題である情報開示すら満足に進んでいません。いま日銀と金融監督庁が大手金融機関の検査に入っていますが、この結果が銀行の真の姿を現したものになるのかどうかが注目されています。もし情報開示が徹底していないとマーケットが判断したならば、株式市場や為替市場から大変なしっぺ返しを受けることになるでしょう。 まず、先に掲げた三点を即座に実行に移すべきです。そして、その結果として破たん状態にある銀行が出たとしても、止むを得ない場合があると考えています。ただし「破たん状態の銀行」がでた場合に備え、政府として全力であらゆる対応策を同時進行的に実施することこそ、肝要です。この点については後に詳述します。 さらに「金融システムの大手術」に際して最も重要なのは、あるべき金融再編の見取り図です。二十一世紀の金融国際化、自由化に耐えうる日本の金融界の再編マップの作成を急ぐべきでしょう。 詳細は省きますが、金融機関は、まず戦後の護送船団方式の甘えから脱却する。これは当然です。そしてそのうえで、従来の銀行貸し付け中心の金融システム(間接金融)から、証券市場を中心とした直接金融の資金フローに改めなければなりません。ウォール街を中心に展開する国際的な金融機関は、デリバティブ(金融派生商品)など、貸し出し以外の金融商品を経営の根幹に据えています。金融ビッグバンとは、否応こうした国際化されたシステムの中で日本の金融機関が生きていかねばならないことを意味しています。 同時に、銀行の公共性も改めて見直すべきです。金融界からは自らの改革を示すような提言もなければ、自ら立ち直ろうという気概も見えません。銀行経営者の反省もなければ、救済してほしいといった要請すらないのです。残念ながら、金融界に自主的なモラルを求めることは難しいのが実情です。バブル時代の反省を明確にする意味からも、民間企業ではあっても銀行には高い公共性が求められることを改めて法律(銀行法など)に明記すべきではないでしょうか。そこで、こうした国際的に通用する銀行が、日本経済には何行必要なのか。これまでの金融機関をどう統合をし、整理していくのか。私たちはわが国の経済戦略を見据えながら、新たな金融再編の青写真を描いていかねばなりません。 金融再編と並行して、内部資金を潤沢に保有しているような企業に対して、金融機関の業務を開放していくことも重要です。そうした資本の循環を促すことによって、日本経済に輸血し、血液を入れ替えながら手術を進めていくことも可能となるでしょう。 対応は急を要します。かつての私の予測より、事態の悪化ははるかに早く進行しています。今や「日本発の金融恐慌」が誘発されかねない状況にあります。とすれば、ここで大手銀行をつぶしてしまうことは、すなわち恐慌の引き金を引くことになりかねません。言い換えれば、大手銀行は絶対に破たんさせられない状況になってしまっているのです。

オープンバンク方式で「国有化」を

そこでまず「金融システムの大手術」を実行する場合、大手行と中小行とは別個に対応策を考えておかねばなりません。さらに大切なのは、私たちは「最悪の事態」も覚悟して、対応を考えておく必要があることです。万一、大手銀行が破たんしたケースも想定して、その対応をあらかじめ決めておかなくてはなりません。具体的に言えば、破たん状態にある銀行に対してどのような手だてを講じるべきか、という問題です。 例えば、現在、政府・自民党が進めている「ブリッジバンク構想」について提案があります。この構想では、金融界から、中小行に使うことはできても、マネーセンターバンクといわれる大手銀行には事実上、使うことは難しいと指摘されています。というのも、仮に破たん状態にある大手行がブリッジバンクに指定されたとたん、借り手も預金者も、そして従業員もパニックを起こし逃げ出してしまい、あっという間にその大手行は抹殺されてしまうからです。このため政府・自民党は、長銀処理策に見られるように、公的資金導入で合併・再編を推進する「破たん前処理」の方向に傾いています。しかし、こうした不透明な処理の手法は、公的資金投入の基準もあいまいであり、いたずらに問題を先送りすることになりはしないでしょうか。 前述したように、大手銀行の破たんはすなわち日本経済の破たんにつながる可能性がある以上、断固としてそのような事態を阻止しなければなりません。破たん状態にある大手行に対しては、「国有化」といった非常手段をとらざるを得ないのが、実情でしょう。銀行といえども民間企業を政府の管理下、経営下に置くというのは並大抵のことではありません。しかし、バブル崩壊以降を八年間にわたり、銀行は全く無策であり、政府の対応も後手後手に回り、不良債権の破壊力がここまで膨大なものになってしまった以上、今や私たちに残された時間と手段は限られていることを自覚すべき時に来ています。 その際、「ブリッジバンク構想」を拡充、整備し、大手銀行にも活用する方法を検討すべきです。ひとつの具体策としては、まず破たん状況にある銀行を、他の健全銀行、持株会社などとの合併あるいは営業譲渡を前提として、法人格を継承しながら「国有化」するオープンバンク方式で処理すべきだと考えています。破たん状態にある大手銀行に対し、株式を「減資」させることで経営者、株主に責任を取らせ、同時に新株を発行してそれを優先的に国が買い上げる。この「増減資一体化」をオープンバンク方式で実施することで、経営者、株主の責任を追及し、なおかつ不良銀行の「国有化」が可能になるはずです。「国有化」することで、日本国の信用のもと、不良銀行の情報開示を徹底し、経営責任を明確化し、刑事責任の追及も併せて、不良銀行の健全化を図ります。その情報開示にもとづいて、不良債権処理を迅速に行うのです。こうした大手行の「国有化」の非常措置のルートを盛り込むことで「ブリッジバンク構想」は中小行にも大手行にも適用できる道が開かれると思います。 今の状況を見ていて私が危惧するのは、政府(大蔵省)、日銀、金融監督庁の施策の意思統一が図られず、その対応がバラバラな印象があることです。この経済の緊急事態に対処するには、総理がイニシアチブを握るべきです。私は、あらゆる関係省庁を統括した「金融復興委員会」(三条委員会)をつくり、総理自らが委員長として金融対策の司令塔となることが最善と考えます。こうした体制を整えることで、日本の株式市場、海外のマーケットに対して総理の「決断」、政治の「覚悟」を示すことができるはずです。 この不退転の「決断」こそ、いま政治に求められている喫緊の最重要課題なのです。もちろん、不良債権処理を進めることは多大な痛み、出血を伴います。倒産、失業、さらなる景気後退--こうした大手術のマイナス面に対しては、政府が全力を挙げてセーフティーネットを構築する。「金融システムの大手術」には、大出血を覚悟しなければなりませんが、そのために政府はあらん限りの知恵を出して、混乱を最小限に抑える手立てを講じていくべきなのです。 私は、具体的には次のような三つのセーフティーネットを提案してきました。これにより国民と企業に安心感を与え、将来への自信を取り戻してもらいたいと考えてのことです。 第一には、失業なき円滑な労働移動支援によって、三年間で百万人の雇用作る「百万人雇用緊急創出計画」です。現行の主な雇用対策は、失業保険と雇用安定事業(雇用調整助成金)しかありませんが、「金融システムの大手術」にはおおむね三年間を要するとみて、幅広い業種の破たん企業やリストラ企業からの離職者を雇用した新産業などの事業主に対し、賃金などを助成する新たな労働移動雇用安定助成金制度を作るべきです。これは後ほど述べる新産業の創造にとっても大きな意味を持つことになります。 第二には、三十兆円の貸し渋り対策を提案してきました。不良債権処理の過程では、あらゆる段階で健全な企業、特に中小・中堅企業に対する貸し渋りが生じ、これらの企業が思わぬ危機に陥ることも想定されます。そうした事態に対しては、当分、政府系金融機関がすべてこの面倒を見なければなりません。具体的には、金融環境変化対応特別貸し付けの制度を充実するとともに、政府系金融機関の貸し付け規模を拡大し、総額三十兆円の貸し渋り対策を講ずるべきと主張してきましたが、最近政府は総額四十兆円の貸し渋り対策を打ち出し、私の提案が取り入れられた形となっています。 第三には、中小企業の連鎖倒産を防止する措置が必要でしょう。全事業者数の九十九%、従業員数の八割、製造業出荷額の五割を占める中小企業こそは、日本経済の縁の下の力持ちであり、高い技術、技能の宝庫に他なりません。これら中小企業が巻き添えとなって連鎖倒産することは何としても防ぎたい。具体的には、現在の連鎖倒産防止対策や政府系金融機関の倒産関連の貸し付け制度を抜本的に拡充していくことを想定しています。 そしてこれら三つのセーフティーネットに関しては、相談窓口を総理直属機関として政府内に設置し、相談後一週間以内に結論が出せるような、万全、迅速な対応ができるようにすべきでしょう。 こうして混乱を抑制しつつ、「金融システムの大手術」を大胆に進めることによって、不良債権問題という過去の負債を清算していきます。しかし、これはいわば後ろ向きの努力です。冒頭でも記しましたように、金融システムをいくら改善してみても、それは日本再生、経済再生と=とはいえません。二十一世紀が到来した時、日本経済はどうあるべきであり、日本はどう生きていくべきなのか、ビジョンが問われています。

強固な製造業が日本を再生させる

明治維新、昭和二十年の敗戦を私たち日本人は荒々しいまでの開拓者精神、フロンティアスピリットで克服してきました。失うものは何もなく、外からの衝撃が目に見えやすく、だれもが危機感を共有していたからです。かつての二つの危機に比べ、今回の「第三の開国」の敵は私たちの内にこそあります。戦後五十年あまりの繁栄を享受して、失いたくないものが増えすぎた結果、危機感が希薄になっているのかもしれません。しかし、私はまだ日本人のチャレンジ精神は失われていないと信じています。このまま日本が衰退国家に向かうはずはありません。私は、新しい分野に挑戦するその手立てのひとつとして、「新産業興国論」をここに掲げたいと思います。

日本経済再生の原動力はどこに求められるべきでしょうか。 米国経済の再生と繁栄は第三次産業、サービス業による経済のソフト化によってもたらされたといわれますが、米国にはそれを支える強大な第一次産業があるのです。広大な国で営まれる世界最強の農業、豊富な資源が富の源泉を成しています。最強の軍事力に発達を促進された情報・先端技術が、他の分野に応用されてもいます。しかし、日本にはこうした強力な基盤はありません。第三次産業がそれだけで経済を拡大し、十分な雇用の機会を提供できるとは思えないのです。 では日本経済再生の原動力は何か。私はそれは、わが国の得意分野である製造業にあると思います。米国のようなオールラウンドの強さを望むべくもなく、貿易立国、技術立国以外に生きる道のない日本は、この製造業という得手な分野に総力を結集し、特色ある国として生きていくほかはないのではないでしょうか。 最近、モノづくりはもう古い、カネがカネを生むマネー国家や先端技術、知的所有権で大きな付加価値を得られるソフト国家こそ、二十一世紀の一級国だとみる風潮があります。しかし、それは常識の陥穽ではないでしょうか。戦後の日本を一貫してリードし、バブル崩壊後もかろうじてこの国を支えているのは製造業であり、アジアの成長も欧米の金融社会もこの上に成り立っているのです。強固な製造業があってこそ、先端技術もソフト技術も生まれるのです。 日本は戦後、一貫して「モノづくり」国家であることを基本に発展してきました。資源もなく、国土も狭いわが国が、優秀な人材と英知を結集して、良質な製品を生み出してきました。欠陥のない商品をいかに早く、安く製造するかという点に、上は社長から下は工場を労働者まで、一丸となって工夫を積み重ねてきた結果、世界に冠たる自動車、家電、機械工業等が発展したのです。 現に、これだけの不良債権を抱えながら曲がりなりにも日本経済が立ち行くのも、莫大な貿易黒字によって富をもたらしているからです。現在わが国は国民生活に欠かすことのできないエネルギー、鉱物資源、食料の輸入に年間約十九兆円を費やしていますが、自動車、電子電気機器、その他機械の輸出によって年間約三十四兆円を得ています。わが国の輸出の三分の二を自動車、電気、機械の三業種が稼ぎ出しており、まさにこれら製造業こそわが国の生命線と言えるのです。しかしながら、では今後も大丈夫かというと、そうではありません。もしいま第二次石油ショック後なみに価格が高騰すれば、エネルギーなどの輸入にはたちまち約四十三兆円が必要となってしまうのです。 冷戦の終了により社会主義国が市場経済に参入し、安い賃金と海外から導入した技術で多くの国々が工業国を目指しています。欧米の工業の復活、アジアの振興工業国に加え、中国、東欧などが世界市場で競う大競争時代になったのです。すでに米国では、日本型経営の優れた点を取り入れると同時に、従来から米国企業の弱点とされてきた工場現場、生産プロセスでの生産性、精度の低さをコンピュータ技術の大幅導入で克服しつつあります。米国企業は自動車などの分野でも国際競争力を取り戻しつつありますし、アジアの経済危機にもかかわらず、現地日系企業からの対日輸出は増加しています。品質の良いものを安く早くつくるということは、日本と似たメンタリティーを持つアジア諸国でも実現可能なことなのです。 他方、日本は大競争という新たな時代に対応した戦略を考えるべき時期に、バブル経済に酔っていました。日本経済は世界最強であると錯覚していたのです。十年前、わが国は振興工業国に譲るべき産業は譲り、先端技術産業など育てる産業を選び、資金や人材を集中すべきでした。しかし事態を放置したため、今では製造業の海外移転による国内の空洞化と、新たな産業の創造意欲の低下が深刻さを増しています。その原因のひとつは、主要先進国と比較して高い水準にある法人税と法人事業税の税率、そして所得税、住民税の高い累進構造にあります。法人事業税の引き下げや恒久的な所得税減税の実施は、この観点からしても不可欠とみなければなりません。 新しく生まれる産業の数が減少していることは実に由々しき問題です。新規開業率(企業数の年間増加率)で比較すると、米国一四パーセントに対し、日本は四パーセント。米国は廃業率も高いのですが、年々企業数が増加しており、新陳代謝が激しく行われています。ところが日本では最近、廃業数が新規開業数を上回り、企業数が減少しています。事業を起こすより大企業のサラリーマンとなる道を選ぶ人ばかりになり、中小企業が次々と廃業に追い込まれるようでは、産業は衰退するばかりです。 戦後のわが国では、財閥が解体され、大企業の分割や系列取引の制限が実施され、中小企業が創意工夫で大きく成長できる余地がありました。分社化の法制度を整備し、連結納税制度を認めるなどの改革によって、日本経済にもう一度フロンティア・スピリットを呼び起こすことが必要ではないでしょうか。 日本の経済を再生するためには、潜在的にわが国が持っている活力を取り戻すことが何より大切です。科学技術、情報技術、インフラ整備、人材の育成を通じて、新産業の創造と既存産業の活性化を実現することが必要ですが、以下そのためのビジョンと、政治に求められる決断について論を進めたいと思います。 まず、わが国の製造業は、量産品の製造はアジア新興工業国に譲り、創造的な科学技術と高度情報技術を装備し、より高度な製造業に脱皮すべきです。そうすれば、アジア諸国とは共存共栄を図ることができるうえ、格差の縮まった欧米の製造業との間でも、日本の得意分野を維持することができます。 いま、日本のあらゆる分野での情報装備は、例えば米国に比べ大きな後れをとっています。産業と金融の世界が典型ですが、教育、行政の分野でも情報技術の普及は今後の課題です。私は二十一世紀への備えとして、ここに挙げた産業、教育、行政サービスの重点的な三分野への集中的な情報化投資に取り組むことを提案したい。三分野への投資を「次世代への情報化投資プログラム」として早急に取りまとめ、現在の情報化関連予算を米国並みを目指して三倍に拡大、二年間の手当てを講ずるのです。

新産業創造を強力に推進する仕組みを

日本の製造業が復活し、新たな人材を育ててこそ、その基盤の上に第三次産業や知的所有権、特許といった「ソフト化された経済」の花も咲くことが可能となります。先日、妻と二人で東京ディズニーランドに行きましたが、最寄りのJRの駅が舞浜駅です。子供からお年寄りまで遊びに来る場所なのに、なぜ分かりやすく「ディズニーランド駅」とできないのか疑問に思いました。それは、名前を使えば莫大な使用料を払わなければならないからです。こうした商標使用料や特許使用料も、将来のわが国の経済にとって軽視できません。たとえば、電子マネー、遺伝子関連をはじめとして、先端部分野における日本の特許取得は、非常に出遅れていますが、このことは国内産業の競争力衰退、新産業の台頭阻害といった重大な問題を引き起こしかねません。過去十年間の研究開発成果に対する特許の輸出入、いわゆる技術貿易収益を日米で比較すると、米国が十七・五兆円の黒字であり、日本は四・一兆円の赤字です。これは今後、さらに拡大する公算が大きいのです。今後は、特許は国全体の財産であるのみならず、特許を生み出す人材、生みだそうとする意欲もまた、国の財産であるという明確な価値観を持つべきです。企業の研究者が画期的な発明や商品化に成功すれば、正当な報酬を得ることを国は税制を含めて奨励するべきであり、さらには特許によるライセンス収入や譲渡収入を増大させるため、株式市場のような特許市場を創設することを目標としたいと思います。 二十一世紀のわが国のために、ここで二つのことを提案しておきたいと思います。ひとつは第二科学技術予算倍増計画の策定であり、二〇〇一年から二〇〇五年までを計画期間とすること。二つ目は、二十一世紀にふさわしい未踏技術について、長期の大型プロジェクトを打ち出すことです。例えば日本のエネルギー、食料の安定確保と、人類の永遠の課題であったエネルギー、食料問題の根本的な解決のために、大型技術開発プロジェクトを提案したい。これらの問題を解決できれば、日本経済への貢献は無論、日本は人類史に貢献でき、国民には夢と誇りが与えられることでしょう。 これらの施策を実あるものにしていくために最も重要なのは、新規産業創造を一元的かつ強力に推進する行政の仕組みです。政府はこれまでも、ベンチャー振興や新規産業創設に取り組んではきましたが、成果が上がっているとは思えません。制度はあまりにも複雑に細分化され、多くの省庁や特殊法人が担当し、しかもそこに所轄争いがある。制度を利用しようとする側にとっては不便きわまりなく、役人の自己満足、使命を終えた特殊法人が生きのびるための方便となっているような気さえします。そこで私は、総理直属の新規産業創造本部を内閣に新設することを提言したいと思います。

具体的には、ベンチャー企業や新産業の育成に関連する各省庁の権限を集中させ、スタッフは関係省庁のほか、大学、国立研究所、民間産業界からも集めることとします。さらにこのを本部の下に独立行政法人(行政事務の執行権限と特殊法人の業務処理機能を持った効率的な執行機関)を設置し、新規産業を創造のための支援業務を総合的に行います。つまり、現在各省庁に分散している新規産業を支援する行政事務を本部に、各特殊法人が行っている融資その他の業務を独立行政法人に一元化し再編するのです。新規産業のための技術開発から起業、補助、出・融資、債務保証、需要拡大までを一貫して担当させれば、実効性は格段に上るのではないでしょうか。 もちろん、新規産業を活性化する一方で、既存の企業群にも頑張ってもらわなければなりません。その意味では「大手術」を必要としているのは金融界ばかりではなく、製造業、流通サービス業などの中にも、バブル期の不動産投資等による巨額の借金を抱え、デフレ型経済への対応を誤ったため、不採算部門や過剰設備の整理ができない企業も少なくありません。 私は、金融機関に対して巨額の救済措置がとられていることとのバランスからみても、その他の産業についても、大胆なリストラを断行するための、大胆な支援策を講じなければならないと考えています。なぜなら、今回の金融不況の原因はまさに金融機関にあり、貸し渋りにあって倒産する製造業などはまさに被害者ではないでしょうか。加害者に巨額の公的資金が投入されながら、被害者はなおざりにされるというのでは本末転倒といわざるをえません。 たとえば、本業は順調であり、借入金の負担さえ軽減されれば生き残れるような企業については、「債務の一時的な棚上げ」も十分に検討の余地があるのではないでしょうか。その企業の借入先の金融機関が返済の繰り延べに応じるなら、それに要する資金の一定割合を金融機関に対する公的資金投入によって賄ってはどうか。この措置により、企業には生き残りのチャンスが与えらますが、言うまでもなく、国民のコンセンサスを得ることや、金融安定化措置と同様に、モラル・ハザードを招かぬよう厳しい審査を課し、企業の経営責任が厳しく追及されることを前提とすべきでしょう。 さらに、この様な困難な時期において、「金融システムの大手術」を断行するなら、他の産業に対する影響は計り知れないものがあります。バブルの負債に喘ぐ企業が、生き残りのため、状況に即応して不採算部門や過剰設備を整備し、経営資源を効率的に配分していくためには、企業合併や業務提携、またその逆の分社化などを円滑に進めなくてはなりません。そのために、合併要件の緩和や資産譲渡益の圧縮当の特例措置を取るなど、条件の整備が進められるべきではないでしょうか。

歴史の幕を引くのは事なかれ主義である

これまでに取り上げてきたさまざまな問題に加えて、わが国には中長期的な大問題として、少子・高齢化の一層の進展があります。次第に労働力人口は減少し、ひいては総人口も減少に向かうでしょう。社会保障費は増加し、貯蓄率の上昇に伴う総需要の伸び悩み等によって、達成可能な成長率(潜在成長率)は大幅に低下し、ついには国民負担率の大幅な上昇と経済活力の停滞を招来しかねない状況にあります。わが国の経済はデフレ・スパイラル突入の一歩手前の状況にあり、昨年度はついにマイナス成長に陥ってしまいました。本年度もこのままいけばゼロ成長、あるいはマイナス成長すら予想されます。当面は、現在行われている緊急経済対策に加え、さらなる需要創出・雇用創出に向けて追加的な経済対策を行っていくことが必要です。しかし同時に、中長期的な視野に立って、女性・高齢者の積極的な労働参加を促すとともに、高齢化といった将来への不安を払拭し、国の活力を維持するため、保育所・育児休業制度の拡充など、少子化対策を講じていくべきでしょう。 すでに高度成長の時代は夢となりました。しかし、ここまでに掲げた政策を総合的に実行するならば、将来のわが国が少なくとも二パーセントを超える実質経済成長率を達成し、中負担高福祉の社会保障国家となり、かつ活力ある経済社会を構築していくことも可能であると私は信じています。 政治家は、今こそ強い意志を持って強力なリーダーシップ発揮しなければなりません。さらに言えば、こうした国家的危機の前では、与党も野党もありません。私は官房長官の職にあったとき、「衆参両院で過半数割れしている状況では政策ごとに野党とのパーシャル(部分)連合を模索せざるを得ない。しかしそれは緊張感を生み、かえって日本の政治のためになる」と発言し、実際に超党派の連合を政策ごとに実現すべく奔走しました。

そのことが保保連合だ、大政翼賛会だと非難されはしましたが、私の考えは常に変わりません。私は数を恃(たの)むつもりはない。政策の旗を掲げるのみです。ここに掲げた政策を拠りどころに同志とあらん限りの英知を絞っていきたいと思います。そのメンバーは固定して考えるつもりは毛頭ありません。私の掲げる政策に賛同してくれる人、日本の将来を思い政策論を戦わせたい人、すべてが私の同志となるでしょう。もし自民党がこのまま本当に恐竜化してしまうなら、この非常事態を脱するため、私の政治家としての責任を果たすため、野党の人であっても真の意味で話し合う用意があることをここで表明しておきたいと思います。 日本経済の再興策をさまざまに思案しながら、最近、幕末の歴史を考えることが多くなりました。私の曾祖父の弟、梶山啓介は、過激な尊皇攘夷派だった水戸天狗党に参加し、敦賀で幕府に捕らえられ、二十代前半の若さで死にました。筑波で挙兵したわずか三百五十余名の志士が、いたるところで各藩の正規兵を破り、敦賀にまでたどり着いたのも動乱の時代ならではの奇跡だったのかもしれません。だが考えてみれば、不思議なことはないのです。志士たちは、その思想が百パーセント正しかったのかどうかはともかく、日本の行く末に強烈な危機感を感じて命を顧みなかった若者の集団です。これを迎えうった幕府や各藩の軍には、平穏無事を旨とした事なかれ主義が蔓延していました。勝敗はおのずと明らかだったのです。 天狗党は歴史のひとコマとして忘れ去られましたが、歴史は確実に動きました。歴史を切り開くのは、危機感と使命感に基づくエネルギーであり、歴史の幕を引くのは万事、事なかれの無気力に他なりません。現下の国難にあって、肝心の政治は、えてして聞き心地のよい「公約」を用い、本質的な問題を覆い隠してきました。今、政治家が真に訴えるべきは、日本の将来への確信と、そのために全国民が試練の道を歩まねばならないという決意なのです。私は「斃(たお)れて後已(や)む」の気概で全精力を傾注し、旗を掲げ続けます。日本の危機はいまここにあり、日本人がプライドをもって生きていかねばならない二十一世紀は、すぐそこまで来ているのです。 (1998年・平成10年10月)

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