1997年(平成9年)3月執筆・未発表。
本稿は、4月上旬の月刊誌に発表する予定でしたが、その段階で私の考えを世に問うことは、内容そのものは今後何ら変わることはないとしても、職掌上適切ではないとの思いもあり、公表を差し控えてきた稿であります。沖縄に対する私の思いを込めた一文ですのでご高覧賜れば幸いに存じます。
日米安保と沖縄
衆議院議員 梶山静六
はじめに
第二次橋本内閣で沖縄問題担当を仰せつかって約五カ月になる。官房長官の職務は極めて種々雑多であるが、この間、私の頭の中の大半を占めてきたのは、沖縄の問題だった。深夜、沖縄のことをあれこれと考えてなかなか眠りにつけず、よし、翌日もう一度さっぱりした頭で考え直そうと無理矢理眠ろうとする。すると決まって目の前に浮かんでくるのが、沖縄の摩文仁の丘である。第二次大戦で最後の激戦地となり、多くの犠牲者を出したこの丘を訪れたとき、私は抑えようにも涙を止めることができなかった。それはとりわけ私のような戦中派の人間にとっては共通した考えであろう。沖縄問題担当としての私に課せられた職務は、戦中のみならず、戦後半世紀にわたってになってきた沖縄の重荷を軽減し、沖縄の発展と県民生活の安全、向上を期することにほかならない。
ただ同時に、橋本内閣の閣僚として、そして一人の政治家として、わが国が国家としてよるべき基盤、即ち安全保障のあり方をなおざりにするわけにはいかない。この両者は本来、両立しうるものだと思う。日米安保体制の基盤を損なうことなく、沖縄の負担を減じていくことは十分に可能だし、私はこの五ヶ月間、そのために精魂傾けてきたつもりだ。ところが最近、論議を呼んでいる駐留軍用地特別措置法の改正をめぐる問題は、わが国の安全保障の基本問題と、米軍基地問題に対する情緒論を無意識にか意識的にか、混同しているようにしか、私には思えない。眠れぬ夜が続く中で、迷いに迷ったあげく、あえて稿を起こすことにしたのは、その混同された国民論議が、わが国の国益と、ひいては沖縄の安定と平和にとって由々しき事態を招くのではないか、という危機感を抱かずにはいられなかったからである。
国益と県益
橋本総理は一昨年の秋、自民党総裁に就任した最初の演説で、沖縄の重荷が続いていることを戦後の政治家の責任として恥じ、全力を挙げてこれに取り組む意向を明らかにした。まさにこれは正しい判断であり、現下の政治家のあるべき姿であった。昨年4月には、橋本総理とクリントン米大統領の首脳会談によって、沖縄の米軍基地の整理・統合・縮小問題は大きな前進をみるとともに、日米両国の安保体制も冷戦後のアジア太平洋情勢を俯瞰した再定義がなされた。この1年間にわたった日米両国の懸命な共同作業によって、その基本合意は着実に実施段階に入ろうとしている。その日米合意の象徴ともいうべき米軍普天間基地の代替基地問題もメドがつかないうちに、今度は沖縄駐留米軍、とりわけ海兵隊の撤退、大幅削減という話が出てきた。この要求が盛り上がってきた契機は、三万二千人あまりの米軍用地地主のうち、三千八十一人が継続使用を拒否しており、特別措置法の切れる五月十五日以降、多くの米軍用地が日本政府による「不法占拠」状態となるからである。その事態を回避するには法的措置が必要だが、一部の人々は米軍兵力の撤退、削減など、なんらかの見返りがなければ、法的措置には反対だと主張する。
これは大きな誤謬だと言わざるを得ない。私は在日米軍の将来的な兵力削減を否定するものではない。むしろ日本の中長期的な安全保障体制を考えていく上で、常に追求していかなければならない優先課題だと思っている。しかし、その問題と駐留米軍用地の確保の問題とは、本質が違う。われわれは最高の国益を求めるなかで、安全保障に関しては米国との同盟関係を選んだ。この選択は間違いではなかったし、今日の日本の発展もたらした大きな要素があったことは歴史的な事実である。半面、在日米軍基地の七十五%が沖縄に集中し、全土の一割あまりを占めるという現実は、国民すべての生活の安定、向上を目指すという民主主義の原則からも妥当ではなく、その不平等性こそ民主主義国家としての国益を阻害する。それにこそ、橋本内閣の至上命題として基地の整理縮小統合に取り組んでいるのである。ところが後者の国益、すなわち沖縄の基地負担を軽減し、県民生活の向上を図る問題を反基地闘争に結び付け、いわば沖縄県の県益に転嫁すべきだとするのが、海兵隊撤退論の背景ではあるまいか。国益なくして県益はあり得ない。ただ、その県益を最大限に尊重していくことが、最大限の国益につながる。橋本内閣が努力しているのは、その最高のバランスをとる作業であり、オール・オア・ナッシング、つまり県益さえ確保できれば国益がどうなってもいい、という一種の冒険主義ではない。
国益としての安保
民主主義の原則からいえば、二月末時点で米軍用地の継続使用を拒否している三千八十一人の地主のうち、いわゆる一坪地主は二千九百六十八人に上り、そのうち千四百五十一人が県外居住者である点を指摘しておかなければならない。土地面積にすれば、全体の0.二%である。私は多数決の論理で沖縄の基地問題を問答無用と切り捨てるつもりはない。基地が少しでも減るのは県民の総意だろうし、継続使用に同意している方たちの中にも複雑な感情があることを理解しているつもりだからである。であればこそ、私は日米安保と今回の土地収用問題を混同し、0.二%の声をもって沖縄全体の声であるとする論は、角をためて牛を殺すことだということを真摯に訴えたい。
周知のように米軍の運用に必要な施設・区域を提供することは日米安保条約で日本政府に課せられた義務である。これが果たせないなら、安保条約を破棄するしかない。一坪地主の方たちの本音は、つまるところ日米安保条約を破棄してもいい、あるいは破棄すべきだということである。この主張は、明確に一刀両断にしておかなければならない。私は日米安保条約を不磨の大典と思っていないし、まさしく昨年の日米安保共同宣言がそうであったように、国際情勢の変化に応じて柔軟に運用を変えていくべきだと思う。しかしながら私は、現時点において、日米安保体制なしに、いずれの事態に遭遇しても国民の生命、財産を守り切る自信がないし、日米安保抜きにアジアの人々に対し、地域の平和と安定を語れる自信もない。明治維新以降、わが国がひたすら軍備拡張と国際的な孤立化の道を歩み始めたのは、日英同盟破棄後の政治家、国民の自信のなさ、国の存立に対する危機感に起因していたことを想起すべきである。
半面、日米安保条約には基本的に賛成だが、米軍用地の使用期限切れと合わせて、米国に沖縄駐留米軍の削減を要求しろ、という人たちも多い。これこそ私の言う、国益と県益の取引である。この要求の根拠とするところは第一に、アジアには日米両国政府が言うほどの脅威はない、第二に在日米軍たちは日本を守っていない、という論だろう。この人たちにはまず、国民の生活と財産を守る安全保障は、国家の基本であり、普段は水や空気のようなものであっても、常に備えを欠くことができないということを力説しておきたい。安全保障体制を整えておくことと、近隣諸国との友好、親善を深めることとは何ら矛盾しないのである。そのための手段として、わが国は米国との同盟関係を選択している。「在日米軍が日本を守っていない」という以上、ではその関係を切って莫大な軍事費を費やし、アジア諸国の不信の目にさらされながら自主防衛に走るのが正しい道なのかどうかもを問うてみたい。
わが国がまったく裸の非武装でいい、と考える人はほとんどいない。同時に自主防衛や核武装を主張する人もごくわずかだと思う。今、議論になっているのは非武装と自主防衛の間で、いかに中庸の道をとるかである。その際、米軍への施設供与を拒否するのは、決して中庸ではなく、完全非武装か自主防衛かという選択肢にすぎないことを重ねて強調しておきたい。
国益としての沖縄
米軍用地の継続使用をめぐり、この問題を日米安保の是非にまで結び付けるのは筋が違うと思いながらも、やはり多くの対米要求が必要だと思っている人もいるかもしれない。それはおそらく、こういう機会をとらえなければ国は何もしてくれない、という日本政府に対する不信感によるものだと思う。私はこうした不信感を払拭することこそ、沖縄担当としての最大の責務だと考えている。
重ねて言うが、橋本内閣の沖縄にかける情熱は本物である。日米安保体制を堅持しつつ、沖縄の負担を減らし、地域の振興や県民生活の向上に注ごうとする熱意と情熱は、戦後のいかなる内閣にも引けを取らないと自負している。それでも信用できないという人には、沖縄の安定と発展こそが、日本の国益にもかなっているという点を指摘しておかなければならない。先に述べたように、民主主義国家において特定の地域、特定の県民だけが国益のために負担を過度に負うことは、民主主義の原理に違背し、やがてはその根本をも覆すことになりかねないことがひとつ。日米安保条約の効果的な運用のためには、沖縄県民の理解と協力が不可欠であり、沖縄県民不在の日米安保体制はあり得ないことが二番目の理由である。
沖縄にはその発展のための潜在性が歴史的、地勢的にも十分に備わっている。国会でも答弁したことだが、私の理想は中国、台湾と沖縄が経済的にも、人的にも有機的に結び付いた「蓬莱経済圏」を形成することである。わが国が二十一世紀になっても東京一極集中の政治、経済体制があっていい、という見方に立つならば、沖縄は「辺境」に位置づけられるかもしれない。しかし、だれもが一極体制の弊害を指摘し、政府としてもなんとかこの弊害を打破しようとビジョンを描いている現在にあって、世界でも有数の成長地域であるアジアと直接、結び付いている沖縄は、まさに日本の最前線である。
五百年前の琉球王国時代、沖縄は、アジアの大交易圏にあって、東の拠点であった。進貢船によって運ばれた莫大な中国の産品を日本、朝鮮半島、東南アジアに輸出する中継貿易によって未曾有の繁栄を誇った。二十一世紀にあっての潜在的な可能性は、その比ではない。ある予測によると、沖縄を含む東アジア経済圏の市場規模は七百兆円にも達する。しかもその際の沖縄の役割は、琉球王朝時代の中継貿易にとどまらず、加工貿易もあるし、知識集約型のソフト産業もありうる。地価も物価も高く、沖縄に比べれば二時間もアジアから遠い東京ではできない知的交流センターとしてアジアとのネットワークを網羅することも可能だろう。
米軍基地の撤廃要求とからめ、基地経済からの脱皮のために従来型の県益を求めることは、かえって沖縄の未来図を狭め、潜在性を損なうことになりはすまいか。沖縄がわが国における東アジア経済・蓬莱経済圏の拠点となる日は、停滞が叫ばれて久しい日本経済に、新たな活力が生まれる日でもある。これこそ、沖縄の県益がわが国の国益そのものになることであり、わが国の安全保障と沖縄県民の生活の安定、向上が一体になることほかならない。 冒頭、私は摩文仁の丘と、あの悲劇的な沖縄戦に言及した。古い人間と言われるかもしれないが、同じ時代を共有した私には、沖縄戦で自決した太田司令官の長文の、そして最後の戦況電報が脳裏にこびりついて離れない。
「一木一草焦土と化せん。糧食六月一杯を支えるのみなりという。沖縄県民かく戦えり。県民に対し、後世特別のご高配を賜わらんことを」。日本国民、沖縄県民を無謀な戦争に駆り立て、罪なき民の血で琉球の土地を染めた軍人が何を言っても遅い、という人もあるかもしれない。しかし、悲しい哉、われわれの時代の日本人は、その時代を生きてきた。そして私は、今に至っても、その時代から今を生きる日本人として、太田司令官のいう、県民に対する「後生特別のご高配」をなしてきたか、何をなすべきかを自問自答している。ところが、それはある意味では誤りかもしれない。政府による、いわば「ご高配」が、国益に代わる県益を供与することを意味するならば、私はかえって沖縄と日本の平和の道を険しくするものになるかもしれない、という疑念が捨てきれないのである。国が県益をもたらすのではなく、沖縄自身が自ら輝く繁栄を築くためにはどうすればいいか。私が述べた蓬莱経済圏はそのひとつの具体例であり、国の役割は自立する沖縄の手助けをすることではあるまいか。
私がそのための道筋をつけることを、次の世代を担う日本人への遺産とすべく、これから政治生活を捧げることを誓いたい。